2014.12.09
完全に畑違いなのですが、最近話題の 水野和夫氏「資本主義の終焉と歴史の危機」 を読んでみました。
水野氏によると資本主義に「死期」が迫っており、それを示すのが利子率の低下なのだそうです。資本主義とは利潤を得て資本を増殖させることを基本的性質としていることから、利潤率が極端に低いと言うことは、すでに資本主義が資本主義として機能していないことを示すのだそうです。
資本主義とは「周辺」たるフロンティアの拡大により「中心」が利潤を上げて資本が自己増殖するシステムと定義されています。「もっと先へ」と「空間」の拡大を続けてきましたが、発展途上国の実物経済による「地理的・物的空間」ではもはや高い利潤率を上げることができなくなり、ここで「電子・金融空間」と言う新たな「空間」を作りだし延命を図ったと言います。この過程の中で新たな「周辺」として、今度は国内にも、例えば米国で言えばサブプライム層や日本で言えば非正規社員を出現させたと言うことのようです。現代はこうした転換期にあり、その中で日本はその先端を走っていることから、新たなシステムを生み出すポテンシャルと言う点では世界の中で最も有意な立場にあるとも述べられています。
畑違いながら本著を読んでいて気になったのは、日本の少子化問題とそれに続く将来の人口減少社会との関わりです。こうした文脈で考えてみると、先進国における中間層の賃金低下による貧困化や日本国内での非正規雇用の増加は我が国の少子化問題と無縁とは言えないのではないかと思います。しかし、人口減少社会は将来の市場経済にとっては明らかにマイナス要因なのではないでしょうか?
「資本の増殖を図った結果、未来の市場が縮小する」
と言う現象は、ある意味、現代資本主義の抱える根本的な矛盾なのではないかと感じました。
イソップ童話に「よくばりな犬」と言うお話しがあります。肉をくわえた犬が池に映る自分の姿を見て「あいつの肉も取ってしまえ」と吠えた瞬間に肉を池に落としてしまうお話です。現代資本主義の抱える根本的な矛盾にはこのお話しと同じような愚かしささえ感じてしまいます。
ミクロレベルでは正しくてもマクロの観点からは望ましくない状況になることを経済学の用語で「合成の誤謬」と呼ぶそうですが、マクロの視点からの経済も時間軸をさらに延ばしていくと、短期・中期で正しいと考えていたことが世代を超えた長期間に渡ると正しくない、つまり少子化によって市場経済を縮小させてしまう現在の状況も「時間軸における合成の誤謬」なのではないかと言う気もします。
本著を読んでいて思ったのは、現代の資本主義はいわば「狩猟型」資本主義なのではないか?つまり「周辺」に「フロンティア」たる狩り場を求めて拡大していく、それがもう行き詰まってしまった、そんなお話しと理解しました。この先、もう狩り場がないなら「狩猟型」ではなく「農耕型」に切り替えたら良いのではないか?そんなことをふと思いつきました。
「農耕型」とはつまり「将来の市場を育てるために一定のコストは負担するけれども、将来的に安定した市場を得ることのできる経済システム」と言うことです。
日本の少子化は母親となる女性人口が減少傾向に転じるので、これからどんどん加速していきます。20年後のお母さんのほとんどはもう生まれてしまっているので、その事実を覆すことはできません。恐らくはこの20年と言わず10年内に少子化に対して有効な手立てを打つことができなければ、どこかの時点で人口維持が回復不可能なポイント(point of no return)を通過することになると思います。
経済学は全くの素人ではありますが、少子化になって当然の日本社会の矛盾を日々身近に感じる身としては、そんなことを考えさせられた一冊でした。