
周産期医学の9月号「周産期におけるPros, Cons 新生児編」に「Late preterm児は母子同室で管理したほうがよい」と言うタイトルで原稿が掲載されました。今回の特集は新生児医療分野で結論の出ない問題をいくつかピックアップして、互いに相異なる双方の立場からの意見を紹介すると言う企画で、他にもたくさんの興味深い論点が紹介されています。
(上の写真をクリックすると周産期医学9月号の紹介ページにリンクします)

今回の特集では、今回の論点そのものである「NICUに入院しては母子同室できないと言う前提が間違いである」と言う立場から、冒頭にウプサラ大学NICUでのFamily centered careを紹介し、母乳育児の必要性が高いのに吸啜が弱いなど母乳育児確立へのハードルが高いLate preterm児だからこそ母子同室が必要であること、更にNICU・MFICUとそれぞれが独立して発展してきた我が国の周産期医療を、エストニアの小児科医Levinが提唱するHuman Neonatal Care Initiativeにある「母と子をひとつの閉鎖的精神身体系(closed psychosomatic system)」として今一度捉え直す必要性を論じました。そして、分娩後の産科病棟での入院期間が他国よりも長い我が国の特長を活かし、母子をともに入院患者として同じ病室でケアするユニットとしてFCCU(family centered care unit)の設立を提唱しました。
本原稿作成に際してはウプサラ大学見学チームの皆様に大変お世話になりありがとうございました。この場をお借りして御礼いたします。この機に、我が国におけるFamily centered careが少しでも前進することを願っています。
「 ルポ 産ませない社会 (小林美希著、河出書房新社)」に続き、同じ著者の「ルポ 職場流産 ー 雇用崩壊後の妊娠・出産・育児」と言う本を読みました。

以下、Amazonnの説明からの引用です。
妊娠しても、様々な理由からハードワークを続けざるをえず、その結果「いのち」が失われてしまう―「職場流産」という悲劇。なぜ悲劇は繰り返されるのか。セーフティネットはしっかり機能しているのか。雇用情勢が厳しくなっているいま、妊娠・出産・育児といった局面で働く女性やパートナーが抱えざるをえないリスクは、ますます切実なものとなっている。これは、日本社会の持続可能性にかかわることであり、誰にとっても他人ごとではない。「子を産み育てる人」と、それを「支える人」という両者の視点から、当事者たちの切実な声を描き出す。
以下は本文からの引用です。
◆「不良品をよこすなよ。とっとと返品して」それは、“妊娠している派遣社員”の私のことだった。
◆妊娠解雇を避けようと職場流産に
◆無法地帯のような母性保護
◆いくら制度や権利があっても飾りでしかない。
◆妊娠が判明したそのときから、いや、子どもが欲しいと思ったそのときから子をもつことによる幸福感や大きな夢、未来、愛情が無限に広がる。その可能性が職場環境を原因に奪われたならば、明らかに、その流産や死産は社会的な死と言えるのではないだろうか。妊娠に躊躇するあまり適齢期を過ぎ、高年出産となれば流産率は高まり、ますます子どもを産むことが難しくなっていく-。
働き方を見直さない限り、仕事か出産かの二者択一を迫られる状況は変わらない。今のままでは、WLB(WorkLife Balance)は、仕事と生活の調和ではなく、Wage(賃金)を得るために削られるLife(命)のBalance(均衡点)でしかない。
◆「子どもを産んでから、周囲に謝ってばかり。働きながら、妊娠し子どもを産み育てることが、そんなに悪いことなのだろうか」
金融業界でエリートコースを歩むはずだった。ところが妊娠してからのその後を振り返ると「まるで坂から転がり落ちるような人生になった」
◆今では、学生時代や社会人のスタートでは、採用時に女性に不利な状況は続くものの、男女の差など感じないで、「ある程度」はフェアな土俵で競うことが実現されやすくなった。ところが、妊娠や出産を機に、とたんに“均等”と言う言葉が遠い世界となってしまう。
◆「妊娠解雇」「職場流産」などの問題によって、いったん仕事を辞めてしまえば、保育所入所に絶対的条件とも言える就労証明書は手に入らず、門戸が閉ざされる。「本当は預けて働きたいけど働けない」という潜在需要は計り知れない。
◆次世代を育めず、いのちを紡いでいけない社会に意味があるのか。少子化は起こるべくして起こったのだ。しかし、経済界はその本質を見ようとはせず将来の労働人口の減少を嘆き、外国人労働者で賄おうとしているが、問題を解決するものではない。
本書にはまだまだたくさんの厳しい現実が綴られています。
様々な少子化対策が取られているのに出生数は減少の一途であると言う現実、それも当然と思わずにはいられません。
少子化対策は結果こそが全てです。
少子化対策と称する支援以前に、足を引っ張っている要因の排除こそが先決なのではないかと感じました。
新刊で「 ルポ 産ませない社会 (小林美希著、河出書房新社)」と言う本を読みました。

以下、著者のホームページからの抜粋と本文からの引用です。
「産めない」のではない。 社会が「産ませない」のだ。
子育てを未だに「女性」だけに押し続ける現実を問う、痛切なルポ。
国は子育てに関する財政出動を嫌う。
保育所の増設は費用が嵩むため、育児休業の拡充に逃げる。
保育所を増設しても、規制緩和といって市場開放する。
民間企業は、利益を優先し、保育の質の劣化を招く。
そして、良い保育が消失されつつある。
まるで、「子どもが心配なら家で(母親が)みろ」と言わんばかりの環境が整ってはいないか。――
以下は本文からの引用です。
◆今、私たちは、人の営みとしてごく自然なことである、次世代を育んでいくということを、あまりにも社会から遠ざけられている。
◆国は子育てに関する財政出動を 嫌う。保育所の増設は費用が嵩むため、育児休業の拡充に逃げる。保育所を増設しても、規制緩和といって民間開放する。民間企業は、利益を出すために人件費の高いベテランを雇わず~
◆晩産化となる理由には労働や社会の環境問題がある。これを無視して医学的な適齢期に子どもだけ産めるはずがない。
◆母親となった女性は労働市場からの退場を余儀なくされ、ますます孤立していく。これはもはや、子どもが欲しいと思っても、「産めない」のではなく、社会が「産ませない」と言わなければならない状況だ。
◆学卒時に75.4%の女性が正社員だったにもかかわらず、結婚時の正社員比率は66.3%へ低下。出産1年前では41.4%となり、出産1年後には21.3%に落ち込むことから、就職してから珊瑚1年までの間に、5割もの正社員が辞めていることが分かった。
◆第一子の妊娠が分かったときの就業状態と第一子出産後の就業継続率を見ると、東京都区部・政令市では63.5%から28.8%、大都市周辺では66.4%から24.9%に落ち込む一方で、非人口集中地区では73%から37.8%と、就業継続率だけ見ると都市部より高い。
◆妊娠を望む時期に非正社員であると、就業継続は更に困難になる。
◆第一子妊娠前に非正社員だった場合に、育児休業を利用して就業継続した割合は、結婚や出産の年が2005~09年のケースで、たった4%に過ぎない。妊娠を望む時期に非正社員であると、就業継続は更に困難になる。
妊娠・出産・子育てのリスクを個々の女性に全て負わせる現状を放置して少子化など改善する訳がありません。現在はこどもを持たないことが女性にとって唯一のリスクマネジメントとなってしまっていると言っても良いのかも知れません。少子化の改善は女性の幸せの結果として得られるものであり、決してそれ自体を目的として都合良く得られるものではないのだと思います。
同じ著者の著作で「 ルポ 職場流産 雇用崩壊後の妊娠・出産・育児 」と言う本もあります。こちらも追って読みたいと思います。

今朝の東奥日報で当院小児科病棟の準HCUが紹介されました。この病室の改修工事は当院のNICU増床計画と平行して行われ、今年度から正式に専任の夜勤看護師さんが配置されました。記事もありますように、これはあくまで試行段階であり、またあくまで長期入院のお子さんを対象としていることをご理解いただければと思います。
昔と異なり、今は大抵のお母さん達はお仕事をされていますし、更に雇用環境も以前より不安定になっていることから、実際に外来でフォローアップ中のお子さんのお母さん達だけでも、お子さんが肺炎等で数回入院しただけでお仕事を辞めなければならなかった方が何人かいらっしゃいます。当院のこうした取り組みが現状への問題提起となり、更に今後のお母さん達への何らかのサポートのきっかけとなってくれることを願っています。

