2014.08.16
先日、某書店で何気なく池上彰さんの「池上彰の新聞活用術」と言う本が目にとまり立ち読みしていたところ、なんと!以前、当院の医師不足を取り上げていただいた朝日新聞の「 ルポにっぽん 」の記事のことが書かれていました!

(画像をクリックするとAmazonへリンクします)

以下本文より引用です。
“11月23日の朝日新聞朝刊2面「ルポにっぽん」に、神奈川県立こども医療センターと青森県立中央病院の新生児集中治療管理室の医師の奮闘ぶりが描かれています。”
“いつも満杯のベッドと、少ない医師。新生児科医の苛酷な仕事ぶり。それでも医師は働き続けます。「医師がもっといれば、もっと良い医療ができるのに」「悔しい」とつぶやく医師。”
基本的な内容は、当時首相だった麻生さんの「新聞を読まない」発言に対して、新聞を読まないと社会的常識が身につきませんよ、と言うことですが、何はともあれ、こうして池上彰さんの目にも触れて取り上げていただいたことは素直に喜びたいと思います。
「見てくれている人は見てくれている」
そんなことを実感させられた日常の一コマでした。
できることなら、この2008年当時の窮状を乗り越えた現在の当科の姿もどこかで取り上げて欲しいと思っています。
なお本著のこの部分に関しては、既に Google検索 で閲覧可能なので、その記事部分をご紹介しておきます。


以下は2008年11月23日の朝日新聞の記事です。

2014.07.24
先週の週刊東洋経済(7月19日)は医療危機の特集でした。この中で、以前、このブログでもご紹介させていただいた「 産ませない社会 」や「 職場流産」を執筆されたジャーナリストの小林美季さんが新生児医療に関して「新生児医療 次の課題」と題してレポートして下さり、その中でコメントをさせていただきました。


2008-2009年をピークとした受け入れ不能報道によってNICUは世間にもその存在が知られるようにはなりましたが、その一方で、母体搬送の受け入れ可否ばかりに焦点が当てられ、肝心の新生児医療とは?と言う議論が抜け落ちたままになってしまっていたように感じていました。そう思っていたら、先月には朝日新聞で「 患者を生きる 小さく生まれて 」と言う連載がされ、次第に社会の目が新生児医療そのものに向いてくれてきていると感じています。まさしく「新生児医療 次の課題」を探る時期にさしかかっているのではないかと思います。

今回はLate pretermに関してコメントさせていただきました。
周産期医療とは本来はお母さんと赤ちゃんの医療なわけですが、それが赤ちゃんはNICU、お母さんはMFICUと、互いに別々の括りの中で医療が発展してきた経緯があり、現在の保険診療上も両者には厳格な独立性が求められます。しかし本来の周産期医療とはエストニアの小児科医Levinが提唱するHuman Neonatal Care Initiativeにあるような「母と子をひとつの閉鎖的精神身体系(closed psychosomatic system)」と考えることこそが本来の姿なのではないかと言う思いがあります。

昨年の周産期医学9月号「周産期におけるPros, Cons」に「 Late preterm児は母子同室で管理したほうがよい 」と言うタイトルで書かせていただきましたが、我が国の産科医療では海外に比べてお母さんの入院期間が長いという特徴があります。この特徴を活かし、お母さんの入院中は母子ともに入院患者としてケアを受け、赤ちゃんのケアと観察を当初は看護師が担当するが、授乳の援助とともに赤ちゃんのケア自体も徐々に適切なアセスメントともにお母さんへ中心を移動させ、お母さんが退院後は同じ部屋で赤ちゃんのみが入院患者としてケアを受け続け、お母さんと一緒に自宅へ退院する。退院までの間、赤ちゃんは入院中なのでモニタリングや観察・治療はNICUと同等にしっかり行われる、と言うような「母子ユニット」と言うべき新たな診療上の枠組みを作ることができないだろうか?ということを考えています。
その実現には、産科・新生児科双方が母子にやさしいケア体制構築に向けて協力することが不可欠です。「赤ちゃんの入院=母子分離」ではなく、赤ちゃん達がお母さんとともに「何ごともなかったように」退院して行けるようなケア体制の制度的確立ができたら良いなと思っています。
2014.06.22
先週火曜日から始まった朝日新聞の連載「 患者を生きる 小さく生まれて 」が今日で予定の6回目を終えました。先日ご紹介しましたように、この連載を書かれた記者の武田さんは、2008年の朝日新聞「ルポにっぽん」 で当院の医師不足を取材して下さった方です。今回の連載では、6年前には踏み込めなかった「NICUで助かった命のその後」がテーマとされていると感じました。
この連載中に紹介されている方達もそうですが、NICUに入院されている赤ちゃんのご家族で、妊娠初期から赤ちゃんがNICUに入院するかも知れないと思われている方はほとんどいらっしゃいません。小さな赤ちゃんや障がいを持った赤ちゃんが生まれること、元気に生まれても生まれてきた赤ちゃんが後になってから障がいが発生すること、は誰にでも起きうることです。こうした記事によって一人でも多くの方に「人ごとではない」と感じて下さることを願っています。






2014.06.18
6月17日(火)から朝日新聞朝刊で新生児医療を取り上げた「患者を生きる 小さく生まれて」が6日間の予定で連載が開始されました。
担当の武田記者は2008年11月23日の朝日新聞「ルポにっぽん」で当院の医師不足を取材して下さった方で、今回は6年ぶりの新生児医療の連載となります。当時はまだ「たらい回し」「ベッド不足」「医師不足」と言った「医療の危機」が報道の中心となっていました。
あれから6年、今回はもっと新生児医療の本質的なところを取り上げて下さるのではないかと期待しています。Web版も配信されていますので、是非、ご覧ください。また、連絡先のメルアドが用意されていますので、ご意見・ご感想もお送りいただければと思います。

(画像をクリックすると記事のWeb版にリンクします)
ちなみにこちらが6年前の「ルポにっぽん」の記事です。
当科のブログでも「総合周産期センター10年誌編集中 メディア記事③」で紹介しています。

2014.06.13

4月27日(日)のNHKスペシャル「 調査報告 女性たちの貧困~”新たな連鎖”の衝撃~ 」が放送されました。この放送をご覧になって衝撃を受けられた方も多いと思います。少し前の番組ですが、この番組を見ていてどうしても納得の行かない点があったので、今更ながら取り上げてみたいと思います。

番組では働く女性の約6割が非正規雇用で、非正規で働く15歳から34歳までの若年女性の8割以上が年収200万円未満で全国に289万人いると紹介されていました。これはこれで問題ですが、今回気になったのはその後の部分です。
この貧困の中、貧しさから我が子を手放さなければならない女性がいると言うのです。

この図では「こどもを手放す理由」の半数以上が経済的理由となっています。性犯罪など、母親がわが子を受け入れられない場合は別として、経済的理由と言うことは母親自身にこどもを育てる希望があるのに叶わないと言うことを意味します。実際、番組中のインタビューでも自分のような人生ではかわいそうだから、新たな両親に託したいと言う思いが語れていました。

「経済的理由から女性がこどもを手放す」と言うのはあくまで女性の側から見た表現で、こどもの立場から見れば「親に経済力がないとこどもは自分の親に育ててもらう権利がない」と言うことを意味します。しかし、直感的にもこの現実はどこかおかしくないでしょうか?
日本は1994年に 子どもの権利条約 を批准していますが、子どもの権利条約の第7条の1に
「児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。」
とあります。つまり、こどもの立場からみれば、彼らにはこの世に生まれ落ちたその時から「その父母によって養育される権利」があるのです。
ここで誤解のないように付け加えておきますが、今回の番組で紹介されていた特別養子縁組を仲介するNPO法人の方の活動に関して、個人的にはこうした活動はとても尊く、現実に「こどもの権利」が守られていない現状がある以上、「こどもの権利」を守るため、この日本社会にはなくてはならない存在なのではないかと考えています。
番組では女性の貧困問題に関し、国の成長戦略と結びつけて制度間の連携や制度の刷新の必要性が語られていました。しかし、そんな損得でばかり語られるべきものなのでしょうか?

番組では今回の問題への対処を日本社会の持続可能性の分岐点としていましたが、 国の少子化対策 も含め、どうも経済や社会の都合ばかりが優先され、肝心のこどもの立場がすっぽりと抜け落ちているのではないかと言う点を危惧しています。
当科の医師の研修でお世話になっている神奈川県立こども医療センター新生児科の豊島勝昭先生は「 こどもを大切にしない町や国に未来はこない 」が口ぐせですが、今回の番組を観ているとまさにその通りと思います。少子化、少子化といくら騒いでみても、大人達の都合ばかりを優先している社会に明るい未来があるとはとても思えません。
「こどもを大切にしない町や国に未来はこない」
この国の未来考える全ての人に、この言葉をいつも心に唱えて欲しいと思います。