2014.03.30
先々週、5回にわたり当科に関連した新聞等メディア記事を経時的にご紹介してきました。東奥日報をはじめ、地元紙あるいは全国紙の地元面の皆様にはご心配と励ましをいただきとてもありがたく思っております。また今回ご紹介しきれなかった記事もまだまだたくさんあります。
今回、こうして過去にさかのぼりメディア記事を眺めていると、大きな転機となった記事があることに気がつきます。一つは2000年の乳児死亡率ワーストワンの記事で、青森県の周産期医療の悪さが県内全体に広く周知されることによって、死亡率の改善に向けて「青森県と他県では何が違うのか?」「どうしたら改善できるのか?」と医療従事者だけではなく県内全体が一丸となるきっかけとなりました。
二つめは北海道新聞の「小児科医なぜ道外派遣」の記事です。
総合周産期センター10年誌編集中 メディア記事② でも述べましたが、結果的にこの記事をきっかけとして、札幌医大からの医師派遣が数年をかけて徐々に減らされることになります。時期的には総合周産期母子医療センターが開設され、青森県内の超低出生体重児の集約化が完成した翌年で、当科の医師数が減らされた頃には、その時点で青森県内で超低出生体重児の診療を行うことのできる施設は当院以外なくなっていました。
札幌医大による医師の引き上げによって何が起こったのか?個人情報が絡むので詳細を述べることはできませんが、超低出生体重児における合併症が増加してしまいました。残された我々が大変だったなどと言うことは、この結果に比べればほんの些細なできごとでしかありません。この時期にも治療を要する重症な赤ちゃん達がいて、中には今もなお当時の合併症の多さからその後遺症に苦しまれているお子さんがいらっしゃることは決して忘れてはならないことです。
ここで一つ気がついたことがあります。道新記事は羽幌町に小児科医がいないことに町民の方が声を挙げたことから端を発しています。では翻って、青森県の新生児医療おいて医師不足となってしまい、その地域の赤ちゃん達の合併症が増えた時、誰か声を挙げてくれる人達は存在したでしょうか?新生児医療は基本的に妊娠・出産する多くの方達にとって、普通なら関わることのない医療分野です。新生児医療には声を上げてくれる患者さんがいないのです。
マスメディアが患者さんの声として、「この地域の人達が困っている」と取り上げることは一見、正しいように思えますが、それが新生児医療のように明らかな患者層が存在しない分野から医師を剥ぎ取る要求となった場合、そこには強烈なバイアスが発生することになります。
新生児医療のような医療分野では、マスメディアがとても大きな力を持ちます。これまでの当科の歴史をメディア記事を軸に振り返ってみても、良くも悪しくもマスメディアの力によって大きな力を受けていることがはっきり現れています。
「医療に関する報道は時に人の人生を大きく左右することがある」
このことを医療の報道に関わる方達にはしっかり自覚していただきたいと思います。今回、これまでの記事をまとめてみたのもこのことを言いたかったからに他なりません。
この記事があってもなくても、いずれは道庁などの外圧により医師は引き上げられる運命だったのかも知れません。しかし、この記事が当科の医師不足のきっかけであったことは紛れもない事実です。かれこれ10年近く以前の記事にはなりますが、この記事に関する事後検証が北海道新聞によって行われることを望む次第です。
以下に当時の北海道新聞記事を載せます。


2014.03.20
このところ連日、これまで当科を取り上げて下さったメディア記事をご紹介してきましたが、今回が最終回になります。
「たらい回し」に始まった一連の周産期医療特集も最近はすっかり影を潜めてきたように思います。それでも、地元紙ではことあるごとに様々な角度で当院での取り組みをご紹介して下さっています。
2012年には東奥こども新聞で小さな新聞記者が取材に来て下さいました。

この時の取材で「患者は数字ではない」「一人ひとりにかけがえのない人生がある」と語ったのは自分自身に対する自戒の念もあったような気がします。
そして2013年はドクヘリ元年でした。これまでも何度もドクヘリのことはご紹介してきましたので詳細は過去の投稿をご覧下さい。


この記事は2006年に最初のヘリ搬送を行った時のものです。当時はまだドクヘリは使えず、防災ヘリによる搬送でした。当時の写真はとても懐かしいですが、今となっては隔世の感があります。

また2012年から当院近くに待機宿泊施設である「ファミリーハウスあおもり」が開設され、2013年には当院小児科病棟に原則として長期入院患者限定ですが、付き添いなしで看護可能な病室を設置しました。これらに関しても既にブログでご紹介しています。


また全くの別件で、出生前診断のことに関しての意見を求められたりもしました。

以上、数回にわたってNICU開設当初からのメディア掲載記事をこれまでまとめてご紹介してきました。あらためて昔の記事から読み直してみると、当科の歴史がここに蘇ってくるのとともに、メディアの力も色んな意味で感じさせられました。

2014.03.19
このところ連日でこれまでのメディア掲載記事をご紹介してきました。メディアには当科としての記事の他に、新生児医療・小児医療の問題点を指摘した記事も多数取り上げていただくことができました。今回はそうした記事を中心にご紹介していきます。
まず最初は2004年1月に朝日新聞の「私の視点欄」に掲載された投稿からです。
NICUでは看護師さんの配置が常時患者さん3人に対して1人と基準が定められていますが、安定してきた赤ちゃんを預かるGCU(Growing care unit)にはそうした基準がありません。一方、健常児を預かる保育所は児童福祉法によって保育士さんが担当する赤ちゃんの数が法律で定められており、同じ赤ちゃんを預かる施設なのに矛盾しているのではないかと言う指摘です。

この現状をイラストに描くとこんなイメージになります。

新生児医療連絡会で行ったアンケートでも1人の夜勤看護師さんが10人程度の赤ちゃんを担当していることがあきらかとなり、人手が足りないことから入院中の赤ちゃんの授乳の際に抱っこして飲ませることができず、コットに寝ている赤ちゃんの横にほ乳瓶を立てかけて自分で飲ませるいわゆる「一人飲み」が全国のNICUの過半数で行われていることが明らかとなりました。

このことを2008年4月に東京の日比谷公会堂で開催された「医療現場の危機打開と再生を目指す国会議員連盟 第一回設立記念シンポジウム」で我が国の新生児医療機関における「一人飲み」の実態に関して」と題して発表させていただきました。(画像をクリックすると議連のホームページへリンクします)


このシンポジウムでの発表はそれなりの反響があり、いくつかのメディアでも取り上げていただくことができました。
2008年6月12日 中日新聞

2008年8月8日 河北新報

上記の新聞記事の他、NHKの「おはよう日本」やフジTVでも放送していただきました。
これらのメディア掲載はほとんどが2008年に集中しています。昨日の記事と見比べてみていただくと「全国で最も医師不足が深刻な総合周産期母子医療センターのNICU」として取り上げられていた時期とほぼ一致していることが分かります。今にして思えば、あんなに人手不足だったことによくこんなことまでしていたなと思う反面、この窮状を打開させるための突破口を心のどこかで探っていたのではないか?、今となってはそんな気がしています。

2014.03.18
昨日・一昨日に続き、さらにその後の記事をご紹介します。
2005年の北海道新聞記事「小児科医なぜ道外派遣」を機に、札幌医大からの医師派遣が不安定となり、当科の医師不足は実人員数と経験年数の両面から深刻さを次第に増していきます。下の図は当科における医師数と経験年数の推移を見たものです。2005年からしばらくして、徐々に医師数と経験年数を示す色が薄くなっているのが分かります。

こうした実情とともに「全国で最も医師不足が深刻な総合周産期母子医療センターのNICU」として様々なメディアで取り上げられるようになります。この記事は読売新聞が2008年7月9日の朝刊で「医療ルネサンス」題してこの日の朝刊に大々的な特集が組まれた時のもので、その中で当院の実情も紹介されました。

こちらはJapanMedicineと言う医療系のメディアで、かなり詳しくレポートして下さっています。

そして、2008年後半には東京都の墨東病院での妊婦受け入れ不能事件が起こります。これを機に周産期医療の話題は新聞だけではなくTVでも頻繁に取り扱われるようになります。11月の朝日新聞の朝刊では2面に「専門医 病院に年100泊」と大きく掲載されました。実はこの日には別の大事件が発生したため、この紙面はかなり少ない部数しか印刷されなく、「幻の紙面」となってしまいました。

当科の医師不足は地元紙の東奥日報でも心配して下さり、大晦日に「新生児医療の砦 危機」と大きく報じていただきました。

こちらは日本経済新聞、その下は読売新聞が墨東病院事件から1年を振り返っての特集記事です。いずれも当科の様子が紹介されています。


こうした報道があったからと言って、それでどこかの大学が助けてくれると言うことは全く起きませんでしたが、しかしこうした悲鳴にも近い「声」をあげ続けたことが、その後の公募により宇都宮先生が来て下さったことにつながっていきます。

2014.03.17
昨日に続き、その後の記事をご紹介していきます。
「青森県の乳児死亡率を改善させよう」
県内関係者が一丸となり取り組み、更には平成16年に念願の総合周産期母子医療センターが開設されることも決まりました。青森県周産期シンポジウムが毎年開催され、どうしたら良くなるのかが熱く議論されたりもしました。そうした中、平成16年の乳児死亡率が前年のワースト2位から大幅に改善されたと、翌年の6月に大きく報道されました。


しかし、本県の各死亡率は単年で評価できるものではないことを以前から指摘していましたので、改善したからと言って単年で喜んでいる場合ではないことも、この頃、頻回に強調していました。
以下の記事もそうした方向性を踏まえて書かれたものと思います。

こうした劇的な改善の背景には、当院にNICUが開設されて以来進めてきた超低出生体重児の集約化があります。平成15年の乳児死亡45例のうち、実に超低出生体重児が22例を占めており、中でも当院以外での死亡例が14例ありました。これが翌年の16年には当院以外での死亡例が3例まで11例減じ、その結果、超低出生体重児死亡例の総数も同じく11例減少しました。この頃こそが本県における超低出生体重児の集約化が完成された時期と言えます。

一方、こうした乳児死亡率改善の報道と相前後して、かつて当院小児科への医師派遣元であった札幌医大のある北海道では、「北海道内で小児科医が不足しているのに、道立大学である札幌医大がなぜ県外に小児科医を派遣するのだ」と言う声があがるようになってきていました。当時の北海道新聞では以下のような大々的な記事が掲載され、ここから私たちにとっての想像を絶する苦難の時代が幕を開けることになります。

こうした道新記事に呼応するように、東奥日報でもこうした問題が出ていることを報じていただきました。

乳児死亡率が改善したと喜んでいたのもつかの間、「大幅改善も医師不足懸念」この記事の見出し通りの展開が待ち受けていました。

これからしばらくして、いわゆる「たらい回し」問題が大きな社会問題化したことによって、ここから当科ははからずも「全国で最も医師不足が深刻な総合周産期母子医療センターのNICU」として様々なメディアに取り上げられていくようになります。
