12月12日(木)には山梨周産期医療懇話会で山梨県立中央病院にお招きいただきました。実は山梨県は人生初上陸でした。2014年に信州フォーラムの帰りに大雪に見舞われ、長野県の大町市から車で東京を目指して遭難しかけたことを書きましたが(2014年2月 信州フォーラム旅日記 番外編)、その時に到達できなかったのが山梨県でした。
甲府に向かう特急の車中から富士山山頂のあたりが顔をのぞかせていました。もうほぼ夕暮れでしたので山頂部分だけほのかに赤みが差していました。
今回お招きいただいたのは山梨県立中央病院の内藤先生で、今年6月に自治医科大学で開催されたハイリスク児フォローアップ研究会で、たまたま同じグループになったのがご縁で意気投合して今回のお話となりました。
今回は「新生児医療のその後を支える」と題してお話しさせていただきました。
最初に青森県の周産期医療のこれまでをご紹介した上で、超低出生体重児のほとんどが救命されるようになって一方で、様々な後遺症を持ったり、後遺症と言えるかは別として様々な支援を要するお子さんがたくさんいる中で、それは医療的ケア児も含めて、どのように支えて行くのかをあれこれお話しさせていただきました。
特に最近、思うのが「Intact Survival」とは?と言う点です。
今回の鹿児島の学会のメインテーマも「Intact Survival」で、この言葉はこれまで新生児医療に関わる全ての者にとっての合い言葉のようなものなのではないかと思います。しかし、退院後の支援をしていく中で、何が「Intact Survival」で何が「Intact Survival」ではないのかの線引きがもはや困難になっているような気がしています。
私たちは「Intact Survivalか否か?」を心のどこかで切り分けようとしていたのではないか?そんな気がしてきています。
脳室内出血やPVLがなければIntact Survivalなのか?1歳半ぐらいで立って歩いて喋ることができればIntact Survivalなのか?満3歳の新版k式発達検査でDQ85以上あればIntact Survivalなのか?そんなことを自問自答してきました。
そこで辿り着いてのが、従来の「Intact Survival=健常児」と「障害児」は分離が困難であり、両者には「連続性」があるのではないか?「Intact Survival」は成長の結果としてはじめて実現されるものであり、「Intact Survival」の実現には「適切な時期」に「適切な環境(療育・支援)」が必要だと言うことを述べさせていただきました。
そして、このことを足がかりにして、医療的ケア児支援まで考えを拡げると、医療的ケア児支援こそがおそらくはNICU退院児支援の最難題であり、その支援体制構築が、おそらくはその他のお子さん達への支援にもつながるのではないかと言うのが最近考えています。本当はこの間に医療的ケア児支援構築のための家庭がごっそりあるのですが、これはまた別の機会にご紹介したいと思います。
懇話会が終わり、山梨県立中央病院を後にします。
懇親会での集合写真。手に持っているのは、今回記念にいただいた甲府の伝統工芸である「印伝」による名刺入れです。
とても高級な革細工で、これまで持っていたアルミケースの名刺入れとは比較になりません(^^;)
実は、ホテルがこの印伝の本店と近かったので、早速お財布も買ってきました。こちらは根本先生の名刺入れとおそろいの柄にしました。
翌朝はその後に武田信玄ゆかりの武田神社にお参りしてきました。
内藤先生、根本先生、山梨県の皆さん、ありがとうございました。
(文責 成育科 網塚 貴介)