2020.09.26
これまで7年半の間、当院NICUで活躍して下さった三上了右先生が今月いっぱいで八戸市民病院へ異動されることになりました。先日は三上先生の卒業講演でした。

三上先生との最初の出会いは2012年12月の青森県周生期医療研究会で広域搬送に関するシンポジウムで隣の席になった時でした。

(画像をクリックすると2012年の記事にリンクします)
この頃は、翌年春には当院の松尾先生が倉敷中央病院へ、川村先生が神奈川県立こども医療センターへそれぞれ国内留学が決まっている時期で、このまま翌春を迎えるとNICU専任医師4名で当直を回さなければならない状況で、三上先生はちょうどそのタイミングで2013年の春から当院NICUに来て下さいました。これまで何人もの先生方に窮地を救われてきた当院ですが、三上先生はその救世主のお一人です。
卒業講演が終わって矢本先生から記念品の贈呈が。
どうも三上先生にそっくりな俳優さんがいるそうで、その方のグッズ?らしいです。



三上先生、7年半ありがとうございました。
八戸に異動されてからのご活躍をお祈りしております。
(文責 成育科 網塚 貴介)

(クリックすると東奥日報連載「知ってほしい赤ちゃんのこと」のバックナンバーへリンクします)

(クリックするとリクルートページにリンクします)
2016.07.31
今年5月から神奈川県の 湘南鎌倉総合病院 産婦人科から3ヶ月間、 NICUの研修に来て下さっていた相原百合先生の研修も最終日を迎え恒例のさよなら講演をしていただきました。

さよなら講演では、神奈川県の周産期医療と湘南鎌倉総合病院 の紹介をしていただき、さらに当院で学んだことをどうやって活かして行きたいか?ということもお話しして下さいました。最後には「おまけ」として、産褥期のお母さん達に起こりうる産褥期合併症に関しての知見も教えて下さいました。特に赤ちゃんがNICUに入院するとお母さん達はご自身の体調よりもお子さん達の心配でそれどころではなくなっているうちに、いつの間にか体調を崩すこともありうることを、相原先生のご経験も交えてお話しして下さりとても勉強になりました。


ちょっと前後しますが、このさよなら講演の前日が送別会でした。川村先生が相原先生との思い出を語ってくれています。

集合写真です。すっかりみんなできあがってますね。

こちらは先日の 周産期センタースタッフ向け新生児蘇生法講習会 の時の写真です。鎌倉からかけつけてくれた渡辺零美先生とのツーショットです。

いつも笑顔で頑張ってくれていた相原先生でした。当院での研修が少しでもお役に立てばと思います。相原先生、3か月間、お疲れ様でした。
(文責 成育科 網塚 貴介)
2016.04.16
ブログのアップが遅れ遅れになっているので、少しずつさかのぼってアップしていきます。
韓国のソウル聖母病院(Seoul St.Mary’s Hospital)からヨム先生が4月1日から2週間、当院NICUへ短期留学に来て下さいました。ソウル聖母病院はとても大きな病院で、NICU入院例数も当院の倍ぐらいの規模の施設です。ネットで探してみましたがてても立派な病院ですね!

(画像をクリックするとSeoul St.Mary’s HospitalのHPへリンクします)
ヨム先生は日本で言うと、卒後8年目ぐらいの先生で、神奈川県立こども病院の豊島先生からのご紹介で、「人工呼吸管理を勉強するなら青森県立中央病院が良いよ」言っていただいたそうで、そうした経緯で青森に来て下さいました。

見学の最終日には、神奈川県立こどもで研修を終えた伊藤先生、川村先生と一緒にささやかながらの送別会をさせていただきました。ヨム先生は小学校時代に日本で暮らしていたことがあるそうで、日本語はとてもお上手と言うよりも普通にお話しでき、日本と韓国の医療だけではなく文化などに関しても色々とお話しをお聞きすることができました。
この翌日には神奈川県立こどもへさらに2週間の見学だそうです。今度はこちらからも一度見学に伺いたいと思いました。ヨム先生、2週間お疲れ様でした。

(文責 成育科 網塚 貴介)
2016.04.01
ブログの更新がかなり遅れ遅れになっています。
いまさらですが4月1日の新年度の話題までさかのぼります。
昨年4月から1年間、当院から神奈川県立こども病院新生児科で研修してきた伊藤先生と、3年前に倉敷中央病院へ研修に行っていた松尾先生のお二人が戻って来られました。

平成28年度は当院NICUにとっては大きな節目の年となります。先日もご紹介したように網塚は「成育科」として新生児科から離れることになり、新生児科部長には新たに池田先生が就任されました。当院新生児科の新チーム初の集合写真です。早速、池田新部長の下、今後の方針やチーム分けに関してのミーティングが行われました。

こちらは病棟入り口にあるスタッフ一覧です。こちらも早速、新バージョンです。

かつて医師不足に喘ぎ、「日本一新生児専任医師の少ない総合周産期母子医療センターのNICU」として全国的にも有名だった当院ですが、医師数こそ6名とそれほど多いわけではありませんが、今や15床のNICUに対して国内留学帰りが4名と言うのは同規模の施設としてはむしろ充実している部類に入るのではないかと思います。その意味で、今年度はこれまで目指してきた一つの大きな到達点と言っても過言ではないでしょう。新体制の下で当院NICUが更なる飛躍を遂げ、本県でこれから生まれてくる赤ちゃん達とそのご家族のために、その役割をこれまで以上の高水準でしっかり果たすことを願っています。
(文責 成育科 網塚 貴介)
2016.03.31
いよいよNICUの当直も最後となりました。今回が1126泊目となります。NICU開設が2001年4月で、ちょうど丸15年で1126泊ですので、平均で4.86日に1泊の割合で当直をしていたことになります。
当直回数が丸3年 (365日×3年=1095日)に達したのが昨年の8月で、この時点で平均4.79日に1泊の割合でしたから最後の1年はやや減速しましたが、年齢にして40歳から55歳までの15年間としてはなかなかの回数なのではないかと我ながら思います。
不思議なもので4~5日ごとに当直している時よりも、ここ最近のように週一ペースまで落ちてくると、逆に当直が億劫になってくるのが不思議なものです。最後の当直と言うことで大荒れになるのでは?と緊張して臨みましたが、結果的には久しぶりにとても安静な一夜でした。





お気に入りの人工呼吸器のステファニーともお別れです。 すでに日本国内でのメンテも終了 しているので、故障した時点で即引退になります。なんとかだましだましで良いので少しでも長生きして欲しいと願っています。

この15年、本当に色んなことがありました。間もなく総合周産期母子医療センターの10年記念誌が1年遅れで刊行予定ですが、そこで資料集めをしていたら出てきた写真です。2001年のNICU開設直前の写真です。我ながら若かったなぁと思うとともに、この先に色んな苦難が待っていたとは想像すらしていなかった頃でもあります。しかし、この頃から心の中では密かに「日本一のNICUを作る」と言う目標を胸に秘めていました。

直近3年間における超低出生体重児の診療成績は全国に誇るレベルに達し、MRSAの根絶も達成しました。ただ、そのほとんどはもう次世代の先生方の手によって達成された成果でもあります。しかし、かつて暗中模索であった超低出生体重児の診療の劇的な改善をこの目で見ることができ、わずかながらもその中に加わることができたことは一人の新生児科医として誇りにも思います。
これからはNICUからは引退し、新たに「成育科」として、主にNICUから退院したお子さん達の支援に専念したいと考えています。これまで支えて下さった全ての方達に心から御礼申し上げます。