「 ルポ 産ませない社会 (小林美希著、河出書房新社)」に続き、同じ著者の「ルポ 職場流産 ー 雇用崩壊後の妊娠・出産・育児」と言う本を読みました。
以下、Amazonnの説明からの引用です。
妊娠しても、様々な理由からハードワークを続けざるをえず、その結果「いのち」が失われてしまう―「職場流産」という悲劇。なぜ悲劇は繰り返されるのか。セーフティネットはしっかり機能しているのか。雇用情勢が厳しくなっているいま、妊娠・出産・育児といった局面で働く女性やパートナーが抱えざるをえないリスクは、ますます切実なものとなっている。これは、日本社会の持続可能性にかかわることであり、誰にとっても他人ごとではない。「子を産み育てる人」と、それを「支える人」という両者の視点から、当事者たちの切実な声を描き出す。
以下は本文からの引用です。
◆「不良品をよこすなよ。とっとと返品して」それは、“妊娠している派遣社員”の私のことだった。
◆妊娠解雇を避けようと職場流産に
◆無法地帯のような母性保護
◆いくら制度や権利があっても飾りでしかない。
◆妊娠が判明したそのときから、いや、子どもが欲しいと思ったそのときから子をもつことによる幸福感や大きな夢、未来、愛情が無限に広がる。その可能性が職場環境を原因に奪われたならば、明らかに、その流産や死産は社会的な死と言えるのではないだろうか。妊娠に躊躇するあまり適齢期を過ぎ、高年出産となれば流産率は高まり、ますます子どもを産むことが難しくなっていく-。
働き方を見直さない限り、仕事か出産かの二者択一を迫られる状況は変わらない。今のままでは、WLB(WorkLife Balance)は、仕事と生活の調和ではなく、Wage(賃金)を得るために削られるLife(命)のBalance(均衡点)でしかない。
◆「子どもを産んでから、周囲に謝ってばかり。働きながら、妊娠し子どもを産み育てることが、そんなに悪いことなのだろうか」
金融業界でエリートコースを歩むはずだった。ところが妊娠してからのその後を振り返ると「まるで坂から転がり落ちるような人生になった」
◆今では、学生時代や社会人のスタートでは、採用時に女性に不利な状況は続くものの、男女の差など感じないで、「ある程度」はフェアな土俵で競うことが実現されやすくなった。ところが、妊娠や出産を機に、とたんに“均等”と言う言葉が遠い世界となってしまう。
◆「妊娠解雇」「職場流産」などの問題によって、いったん仕事を辞めてしまえば、保育所入所に絶対的条件とも言える就労証明書は手に入らず、門戸が閉ざされる。「本当は預けて働きたいけど働けない」という潜在需要は計り知れない。
◆次世代を育めず、いのちを紡いでいけない社会に意味があるのか。少子化は起こるべくして起こったのだ。しかし、経済界はその本質を見ようとはせず将来の労働人口の減少を嘆き、外国人労働者で賄おうとしているが、問題を解決するものではない。
本書にはまだまだたくさんの厳しい現実が綴られています。
様々な少子化対策が取られているのに出生数は減少の一途であると言う現実、それも当然と思わずにはいられません。
少子化対策は結果こそが全てです。
少子化対策と称する支援以前に、足を引っ張っている要因の排除こそが先決なのではないかと感じました。