引き続き1月23日(木)に開催された高知県周産期医療人材育成プログラム講演会での様子をアップします。
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講演会では「『自動積立型』人材育成のすすめ」と題して、当科での人材育成の経緯や考え方に関してお話しさせていただきました。
今回のお話しのキーメッセージは「優先順位を入れ替えるだけで人材はあっという間に育ってしまいます。さあ、最初の一歩を踏み出しましょう!」です。お金を貯めるには「お金が余ったら貯金しよう」ではなかなか貯まりません。なので給料引き落としの自動積み立てにするのが有効ですが、人材育成も一緒なのではないか?と言うのが今回のお話しのポイントです。
しかし、そのためにはギリギリの医師数で診療を維持させる必要があります。今回の講演ではなぜそうした選択をするに至ったのか?そこに至るまでの過程とその背景に関して述べさせていただきました。
冒頭に青森県の周産期医療のこれまでの経緯をお話ししました。まだまだ改善の余地は多々あるものの、以前のように全国でダントツの悪さではなくなってきています。
ただ、総合医療センターが開設され超低出生体重児の集約化が進み、乳児死亡率が良くなってきたかな?と言う頃に、派遣元大学からNICU医師の引き上げが始まりました。
全ての発端は平成17年4月の北海道新聞の記事からでした。なぜ道立大学である札幌医大から道外の青森県に何人もの小児科医を派遣するのか?と言う記事です。記事の是非はともかく、これが全ての発端となったことは事実です。
2008年当時の当院NICUの医師不足は全国紙で取り上げられたこともあります。
翌2009年には東京で開かれた周産期専門家会議で新生児科医師不足が新生児診療体制と予後に与える影響」と題して、全国で最も医師不足のNICUとして発表したこともあります。新生児医療は昼夜を問わず診療が続くので、夜間は翌日のことを考えず診療に当たるのが本来の姿ですが、当時はバトンを渡す相手にさえ事欠く状況でした。
それでは、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?
新生児医療の位置づけを考えてみると、国の定める医療計画の中では4疾病5事業(当時)の中にある周産期医療の重要な一角を担っているにも関わらず、その一方で、小児科の中での位置づけは20以上ある各専門分野の1つでしかありません。それではその比率を決めているが誰かと言えば、多くの場合小児科教授の見識にかかっています。
ある大学医局では「小児科医は新生児も診療できて当たり前」と考え、十分な研修の場を提供している医局があるのに対して、
一方で、新生児は文字通り1/20程度にしか扱わない医局があるのが現実です。
しかし、新生児医療に力を入れていない医局の小児科は、産科医から見放され、結果として分娩施設のない病院で若手が研修せざるを得ない状況が生まれたりします。
こうした小児科教授の見識の違いは、ひいてはその県や地域の乳児・新生児死亡率にまで左右します。
こうした背景を述べた後、再び当院の再起の道に関してお話しを続けます。最も人手不足が深刻だった頃、助けに来てくれたのが宇都宮先生でした。彼の助けのお陰で当院のNICUは潰れることを回避することができ、またその後に松尾・川村先生が当院の初期研修医から、更に寺田先生も札幌から当科のシニアレジデントになってくれるなど、徐々に人的体制を立て直すことができました。
この間、池田先生は神奈川県立子ども医療センターNICUで研修をすることができ、平成23年1月に復帰してからは、当科の診療方針を神奈川方式に全面的に変更しました。
その結果、平成23年の極低出生体重児の全国調査では施設別補正死亡率が全国でもトップクラスにまで至ることができました。ちなみに当院では「神奈川方式」と読んでいますが、本家本元の神奈川こどもの豊島先生からは「池田方式なんじゃないの?」とは言われているようです。
池田先生が1月に復帰後、その年の1月から3月まで佐藤先生→寺田先生→松尾先生と1ヶ月交替で神奈川こどもで研修させていただき、「神奈川方式」を直接各自それぞれ自分の目で見ることができたのが非常に大きかったと感じています。
「神奈川方式」では主に循環管理を全面的に改め、また新たなパラメータも導入されました。ここで、実際に「神奈川方式」を見ていないのが部長のみとなってしまったため、現在の治療方針に慣れるのにはかなりの時間を要しましたが、早いものでもう3年にもなるとさすがに最近は慣れてきました。
こうしてスタッフが充実してきたところで満足していてはまた過去と同じ過ちを繰り返しかねないので、積極的に人材育成をする方針としました。それが昨年春に2名同時の国内留学であり、この方針こそが今回のテーマである「自動積立型人材育成」そのものです。しかし、今年度春に4名体制を覚悟して2名の国内留学を決めましたが、結果的に八戸市民病院から三上先生が、更に弘前大学からも三浦先生がきてくれたので、綱渡り的ではありますが、結果オーライで現在に至っています。
NICUが開設され、既に13年も経とうとしていますが、人材的に振り返ってみるとこの間に当院NICUで研修をして、現在も県内の他施設で仕事をしているのは佐藤先生一人と言う状況に気づき愕然としてしまいました。
県内の超低出生体重児の全てを集約化しているのに、その診療による経験「知」が還元されなければその地域の医療が発展する訳がありません。そうした背景から、昨年もブログでご紹介しましたが、地元の弘前大学との連携再構築が今まさに始まったところです。
以上をまとめてみると1つの考え方が頭に浮かんできました。
「米百俵」の故事です。「目先のことにとらわれず、明日のために行動する」このことこそが、人材育成の要となる考え方なのではないか、そんな風に考えています。
人手不足と合併症の多さ、当時はこの両面でまさに闇の中にいたような気がします。しかし、人材が育成され、組織として進化した時、その両方の闇から同時に抜け出ることができました。頭数が足りないのでなかなか辞められませんが、今や部長がいなくても診療が成り立つに至りました。人材育成とは自らが必要なくなる営みなんだなと感じている今日この頃です。
とは言うものの、ここまで至ることができたのも多くの出会いと仲間達があってこそです。本当に心から感謝です。
今回、こうした機会がなければそのままこの記憶は墓まで持って行くところだったかも知れません。内容も極めて個人的なことが多く、単なる苦労話のようになってしまいましたが、皆さん、熱心に耳を傾けていただけて嬉しかったです。発表の機会を下さった高知大学小児科の藤枝先生、高知医療センターの吉川先生には心より感謝申し上げます。
講演会終了後には懇親会を開いていただきました。高知の皆さんはとても仲が良く、同じ目標を目指す気持ちが強く伝わってきました。同じ地方同士で人手不足は共通の悩みではありますが、みんなで協力して行けばきっと報われる日が来ると感じました。
高知の皆さま、本当にありがとうございました。