東奥日報夕刊の連載「知ってほしい赤ちゃんのこと」も4回目となりました。今回は「たらい回し」の真実と題して、読売ジャイアンツの村田選手のお子さんのお話を取り上げさせていただきました。
連載は毎月第1・第3月曜日の夕刊なので、次回は10月20日の予定です。
以下、連載4回目です。
「たらい回し」という言葉がしばらく前にマスメディアを賑わせました。重症妊婦さんの緊急受け入れ先が見つからず治療が手遅れとなり、妊婦さんが死亡した事例が相次いだことに端を発しています。
当時、病院が患者さんを受け入れられなかった理由として、産科医師不足もさることながら、ハイリスクのお産で生まれてきた赤ちゃんの治療を行うNICU(新生児集中治療室)の病床不足の深刻さが、その背景としてにわかにクローズアップされました。最初の事件発生が2006年。08年から09年にかけてが報道のピークでした。
プロ野球の元横浜ベイスターズで現読売ジャイアンツの村田修一選手は多くの方がご存じかと思います。村田選手のご長男は06年に超低出生体重児で生まれました。
村田選手の奥様は妊娠23週を迎えたある朝、突然破水し、すぐにかかりつけ医を受診し母体搬送先を探しますが、居住地の横浜市内で受け入れ可能な病院はなく藤沢市の病院へ運ばれます。その後、息子さんは在胎24週712㌘で生まれ、すぐにNICUでの治療が始まりました。2月だったので村田選手は沖縄でのキャンプ中でした。
順調に経過していたかと思っていた矢先、生後1週間頃に超低出生体重児の重篤な合併症の一つで腸が破れてしまう「消化管穿孔(せんこう)」を発症し、非常に危険な状態となります。藤沢のNICUでは小児外科の治療ができないため、さらに高次のNICUへ搬送しなければなりませんが、またここで「NICU満床の壁」が待ち構えていました。
ここから先は当時の様子をまとめた単行本「がんばれ‼小さき生命たちよ―村田修一選手と閏哉くんとの41カ月(TBSサービス)」から抜粋します。
「それで、どこに搬送されるんだ?」
「受け入れ先がまだ見つからないの」
「目の前が真っ暗になった。神奈川や東京の手術まで可能なNICUはすべて満床で、(中略)手術を受けるためには、静岡県の大きなNICUに行くしかないかもしれないという。」
「受け入れ先の病院までは100キロ以上もある。」
「あんな小さな息子には100キロの道のりはきつすぎるんじゃないか。」
「しばらくしてから再び電話の着信音が鳴った。『神奈川県立こども医療センターが受け入れてくれることになった。』震えるような声で嫁が告げた。全身の力が抜ける気がした。」
当日の朝、こども医療センターのNICUはほぼ満床で、さらに双子の早産児が生まれる直前だったため受け入れが困難でしたが、たまたま片方の赤ちゃんがとても軽症だったので、幸運にも急きょ受け入れが可能となったと言うのです。この後、村田選手の息子さんはこども医療センターNICUによる懸命の治療が奏功し、今はすっかり元気にすくすくと育っていらっしゃいます。
こうした体験から、村田選手はヒットを打つ度に募金する「支えるん打基金」プロジェクトや、NICUから退院したお子さんたちを東京ドームに招待する「NICU観戦会」など、新生児医療への支援活動をされています。
村田選手は「NICUのベッドと人員の不足が、救えるはずの赤ん坊たちのいのちを危険にさらしている現状を、このとき初めて知った。」と書いています。こうした現状を多くの方に知っていただきたいと思っています。