東奥日報夕刊の連載 「知ってほしい赤ちゃんのこと」 は今週月曜日が28回目でした。今回は母乳特集のまとめとして、前回の最後に「母乳育児支援で何が一番大切なのか? それは単に母乳率を上げることではなく、母乳で赤ちゃんを育てたいと思っているお母さんが最大限の支援を受けられ、最終的にどんな結果になろうと自信を持って赤ちゃんを育て続けることができるような支援なのではないかと思います。では、このような支援はどうすれば実現できるのでしょうか?」と書いた答えとして私見を述べてみました。
なお、今回の投稿掲載に際しましては、母乳育児の先進県である富山県厚生部 健康課 母子・歯科保健係のご担当の方にシンボルマークの使用に関してご許可いただきました。この場をおかりして御礼申し上げます。
以下、本文です。
本連載の20回目から8回にわたって母乳育児に関して述べてきました。今回はその総括をしたいと思います。
母乳育児支援で何が一番大切なのか? それは単に母乳率を上げることではなく、母乳で赤ちゃんを育てたいと思っているお母さんが最大限の支援を受けながらも、最終的にどんな結果になろうと自信を持って赤ちゃんを育て続けることができるような支援である─と前回述べました。
では、それはどのようにしたら実現できるのでしょうか?
お母さんたちへの精神的なサポートまでも含めた支援方法に関しては、例えば、NPO法人日本ラクテーション・コンサルタント協会がすでにプログラムを確立していて、セミナーを開催しています。
本来であれば、母乳育児支援に関わるスタッフに対してこうした教育プログラムが一般化されれば、現状を大きく改善させることができるでしょう。つまり母乳育児の支援者にも支援と教育が必要なのです。
その実現には行政レベルでのサポートが必要ですが、すでに実例はあります。富山県では母乳育児推進事業が県の施策の一環として行われており、母乳育児に関わるスタッフへの研修や、社会に対しての啓蒙活動がすでに30年も前から実践されています。
一方で、母乳育児に限らず、妊娠・出産・子育てに関わる問題は極めて個人的でデリケートな問題を含みます。ですので、少子化対策も含め、社会あるいは行政としてあまり深入りしたくないという気持ちは理解できなくはありません。確かに、何もしなければ非難されることもなく無難なのかも知れません。
しかし、これまで通り何もしなければ、母乳育児に熱心でない施設では、人工乳を生後早期からどんどん飲ませて母乳育児どころではなく、一方で母乳育児に熱心な施設でも母乳育児がうまくいかなかったお母さんがご自身を責めたりと、ずっと昔から続いてきた悲劇がこれからも延々と繰り返されるわけです。
母乳の特集の初回に「母乳がなかなか出ない母親もいるのに追い詰めることになりはしないのか?」という言葉に隠された母乳育児支援のタブー視こそが、母乳育児がうまくいかずに傷つくお母さんを増やしていると述べました。一見思いやりがありそうな言葉の陰に隠れて何もしないことこそが、悲劇がなくならない元凶なのではないかとさえ思います。
「最大の悲劇は悪人の暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心である」
マーティン・ルーサーキング牧師によるこの言葉がふと頭をよぎります。母乳育児の問題に限らず、「善意の人の沈黙と無関心こそが悲劇を生み出している」という現実が、この連載で紹介している赤ちゃんを巡る環境には数えきれないほど存在します。
妊娠・出産・育児は、赤ちゃんがいる家庭だけのものと思われがちです。でも、職場の部下や同僚、自身のお子さんたちや親戚まで範囲を広げると、全く関係ないという方はそんなに多くはないのではないでしょうか?
赤ちゃんのいる家庭ではどのようにして子育てをしているのか。無関心な傍観者ではなく、より身近な存在として、ほんの少しでも思いをはせてみていただきたいと思うのです。