新飯田先生の慰労会では昔の写真が沢山スライドで流れていました。それらを観ていると本当に懐かしく当時のことが思い起こされます。ここで、あらためて、かつて小樽市銭函にあった北海道立小児総合保健センターの当時の写真をここにアップしておきたいと思います。
これが病院外観です。病院は銭函駅近くの崖の上に建つ4階建てで、病院からは日本海(石狩湾)を一望できました。
これは職員のための公舎で、その向こうには銭函の海水浴場が見えます。夏場はこうして穏やかな海が広がっていますが、冬になると風がかなり強かった覚えがあります。昔住んでいたこの公舎の4階の部屋の一室は窓が閉まりきらなく、吹雪になると部屋の中に雪が吹き込んでいた覚えがあります。
これは地下1階につながる職員駐車場で、右に見えるのは確か看護師さんの寮だった気がします。
こちらは山側の眺めです。病院のすぐ近くにはヘリポートが整備され、ここに釧路や函館から重症な赤ちゃん達が運び込まれていました。若い頃は昼休みにこの辺をランニングしていた記憶があります。それから、そう言えばヘリポートの向こうの山はスキー場でした。この病院からはスキー場もゴルフ場も海水浴場も車で5~10分と言うなんとも素敵な立地でした(もっともそのいずれにも行けた覚えはありませんが・・・)。
こちらは外来です。きっと奥の方が薬局で、お薬の窓口のような気がします。
こちらはNICU入り口の着替えと手洗いの場所だったところです。当時はまだガウンと防止を着用していました。
この部屋はNICUの手前にあった授乳室だと思います。重症な患者さんがいると、奧のソファで仮眠していた覚えがあります。
これがNICUです。産婦人科のない小児病院だったので、超低出生体重児よりも重症仮死、先天性疾患、外科系疾患の赤ちゃんが多い病院でした。保育器よりもインファントウォーマーが多いのもそのためです。
こちらはGCUです。当時はこの部屋に16名の赤ちゃんが入院しており、そこを夜勤看護師さんが一人で看護していました。今では考えられない体制です。
人工呼吸器は昔懐かしいセクリストです。それでも、意外にインファントウォーマーやシリンジポンプはそれ程古くないですね。
これは若かりし頃の写真です。
こちらはクリスマス会の写真ですね。新飯田先生がサンタさんで、こちらはトナカイの担当でした。
当時はデジカメも普及していなかったので、こうした日常を写真に残す習慣がなかったのでしょうね。本当に当時の写真は少なく、今回、幹事の浅沼先生からちょうだいしました。今はすでに取り壊された病院ですが、きっと当時勤務していた方も、お子さんが入院されていたご家族の方達もきっと懐かしい風景なのではないかと思います。ご縁のある方がいらっしゃいましたら是非ご覧いただければ幸いです。
(文責 成育科 網塚 貴介)