メディカル・プリンシプル社『DOCTOR’S MAGAZINE(ドクターズマガジン)』4月号のチャレンジャー欄に取り上げていただきました。
今回の記事では、これまでの青森県の新生児医療での取り組み、その過程で極度の医師不足に直面した頃のこと、そこから神奈川県立こども医療センターへの国内留学を中心とした人材育成による再起、そして成育科になってからの取り組みと言う、本当に自分自身の青森でやってきたことの全部をご紹介して下さった感じの記事にして下さったように思います。
今回の取材で伝えたかったことは2点ありました。
1つ目は、人材育成のこと。これはかつて2014年の高知県周産期医療人材育成プログラム講演会でもお話ししましたが、人材育成するならまずは優先順位を入れ替えることが必要です。これは貯金と一緒で、「あとで余裕ができたら貯金しよう」と思っていたらいつまで経ってもお金が貯まらないのと同じで、優先順位を入れ替えない限り人材育成もその最初の一歩を踏み出さないと何年何十年経っても何も変わりません。そして、人材育成の目的が組織としての進化なのであれば人材育成の最終目標は「自分を要らなくすること」ではないかと言うことです。
2つ目は、これは成育科を立ち上げた時の動機にもつながる点です。これは記事にもあるように、近年、医療的ケア児が増えている中で、必ず枕詞のように『医療の進歩により、これまで助からなかった命が助かるようになった』と言われます。でも、新生児医療は政策医療の一環として発展してきました。それであれば、医療的ケア児の支援や小さく生まれた超低出生体重児のお子さんたちへの支援にもまた政策医療としての責任があるはずだと言うことです。いかにして彼らへの支援を充実させることができるかが成育科としての使命であると考えています。
以下に記事の画像を掲載しました。ご覧いただければと思います。
(文責 成育科 網塚 貴介)